削ぎ落とされた暮らし

ちょっと久々の更新になってしまいました。。。

ちょうど先週末、久々に上京。48時間ほどの短い滞在だったのですが、

「東京でしか出来ないことを!」と張り切って濃密な時間を過ごせました。

 

東京でしか見れない3Dの映画見て(信州は驚くほど映画館がない!)、

東京でしか食べられないラーメンを食べ、

東京で会える人たちと数年ぶりに会い、

東京だからこそ在庫豊富な古本屋で着くや否やいきなり、ドカ書いしちゃって滞在中ずっと“重荷”を背負うなど。。。

それにしても久々の東京は、やはりスゴイとこでした。

とても以前に住んでいた、働いていた、通っていたなんて信じられない!

 

「久々」、そして「外から」見ているからこその感覚なんでしょうが、今回は加えて、農業界だからこそ感じた思いというのがあったので、ちょっと書いてみますね。

この、新宿でコソっと撮った写真を見るまでもなく、当たり前に人がたくさんいますよね。

いろーんな人が。いつもバスで行くんですが、高速道路降りたあたりから、もうキョロキョロしてしまう。

いや、ホントいろんな人がいるなぁ、あの人は何の人だろ?え、この人は??と、もう飽きることなく「マンウォッチング」してしまいます。

 

今回そこに加えて思ったのは、「この人たち、どうやって生活しているんだろう?」という思い。一人暮らし?実家?それにしたって家賃が高い、物価も高い東京で、みんな生活している。それにはその糧を得る仕事があるわけで、でもそんなに仕事あるのかな、と。

 

農業という、モロ「一次産業」は、ある意味とてもシンプル。っつーか、単純。なんたって「食料」ですから、それを作って、売って、日々の生活のための糧を得る。原始時代からあるぐらい、すごく分かりやすい。

でも、それでも四苦八苦している。

 

なのに、この都会の、この大多数の人は、一体どうやったらそんな日々生活を送るほどの仕事があるのか? もう、田舎モンにはすっかり不思議になってしまったわけです。

 

今回の上京の際、「アニキ」と慕う音楽業界のエライ人と実に7年ぶりぐらいにお会い出来たんで、一献傾けながらその素朴な疑問をぶつけてみました。

 

曰く「多くの人が生活している東京には、細かな“隙間”の仕事がたくさんあるからじゃない?」

 

ヒントいただけました。

そうなんですよねー。多くの人がいるからこそ、細かな欲求も需要もあり、それを満たすために仕事が成り立つ。本来なくてもいい「余分なモノ」なんだけど、求める人がいる限り、そして分母が大きい東京だからこそ、仕事になる。

 

ふーーーん、と。そうかぁ、、、と。

 

 

さてさてここからは翻って、今の自分の生活。

自分もだけど、田舎のみんなの生活。

 

限りなく「余分なモノ」ない。欲を発散する場所がそもそもない。

物欲が刺激されてしまうステキなモノが揃うお店もなければ、

ちょっと飲みに行こう!という飲み屋もない(あっても車でしか行けない)、

仕事帰りにふと立ち寄っちゃいたくなる美味しいケーキ屋もない。。。

 

家に帰っても、ウチなんかテレビないし、一人で晩酌したってそんな飲めるわけじゃないし、一日の労働で疲れて眠くなったら寝るだけ。

とにかく「欲」を発散させる機会も場所もない。。。

 

「コレあるといいな」「アレ出来ると楽しいな」という余分なモノが一切ない。

まさに必要最低限に削ぎ落とされた生活。

 

これ、慣れないと、きっとすごいストレスになるだろうな、と思う。

「無欲」に慣れないと、田舎では暮らせないだろうな、と思う。

 

そういう意味で、ここでの生活は、欲を無くし、諸行無常をあるがままに受け入れ、毎日の生活で「空(くう)」を想い自覚し、実践するー。

生きていくこと、生活することが、まさにそれ。

 

これってまるで、禅のの修行?って思ってしまう。

それって、、、うーーん、ま、いいんじゃない?そんな生活も。

 

 

、、、と思う、今回の上京の考察でしたぁ(>_<)