話はお茶から転々と

京都にいたころ、せっかく日本の“原点”にいるんだからとお茶、茶道を習ってました。ちなみに流派は、三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)ではなく、武家茶といわれる藪内流というちょっと通っぽい(?)流派。

 

本場=京の都で、きもの着て袴つけて、お茶会出たりして。それまで縁のなかった世界だっただけに、とても趣深く、すごく楽しく、大変良い経験となりました(正座が辛かったけど...)。

そんな習い始め、全く知らないところから始めると、お点前の1つ1つの作法は、見よう見まねというか、手とり足とり教えていただくところから始まるわけです。

 

身体の向きや道具の持ち方、置く場所など、細かに決まってる。それがなかなか覚えきれなくて。。。頭で考えながら動かす身体は、想像以上に思い通りに動かなくって。。。

続けることでちょっとずつ身体覚えていく、というか、それが当たり前のように身体が「慣れる」のを待つみたいな。

 

最初は正直、細かいなぁって思ってました。でも、いろいろと興味をもってお稽古に通い続け、関連の本とかたくさん読んで、美術館や道具屋さんでいろいろな茶道具を見て歩いて。その辺りはさすが京都。ちょっと見渡せば、たくさんの“資料”が点在していますからね。

 

そんな風にしてお茶の知識を深めていったある時、気づくんです。

あの細かな作法、仕草、立ち居振る舞いのひとつひとつには、飾りだったり単に格好をつけてるわけじゃなくて、合理的理由がちゃんとあるんだってことに。

柄杓のどこをどう持つかも、蓋置きを畳の網目いくつ離れたところに置きなさいとか、非常に細かい決まりごとにもちゃんと理由がある。

 

それはつまり全てが、一連の流れるような動きのため、なんです。

それが結果的には、美しい動きになるわけです。

 

確かに、いつも置くところがまちまちで、あっちに置いたけど次の動作に邪魔だからやっぱこっちに置き直してとか、なんども持ち直してとか、ギクシャクして見苦しい感じですよね。

 

それらを1つ1つ見直し、無駄を省き、長年かけて洗練していき、必要最低限に簡素に簡潔にしていった結果、それが今の作法なわけです。実はとても理にかなった、合理的な理由があったんですね。

 

お稽古を通し、その1つ1つの作法を身体が覚え、というより慣れて、頭で考えなくとも身体が勝手に動くようになるのが、最終的な目標の一つかな、と。そんな風に気づいたのが、お茶を習っての一番の発見でした。

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おっと、、、そうそう、このエッセイは基本的に農業ネタなんで、

ここから農業の話に持っていきます。

 

農業、というより農作業ですが、これが全く同じなんです。

いかに効率よく、合理的に動くかー。これを毎日、追求して追求していかなくてはいけません。

 

例えば朝、畑に行く。何枚かある畑をどういう順番で回ればいいか、そこでどういう作業を、どういう段取りで行うか。それには何が必要で、何の道具を持っていけばいいのか。

 

出荷作業でもそうです。まず何の野菜から梱包するか。その袋はこれで、でも次に詰める袋もついでに持って行っとこう、とか。いちいち立ってやさいを取りに行かずに済むように、手の届くところに最初から置いておこう、とか。

さらにはもっと細かいところでは、やさいのここをこう掴んで、袋をこういう向きにした方が入れやすい、そしてそのまま並べやすい、とか。

 

ビジネス的に言うと、いわゆる「段取り力」の一種ですよね。

 

 

話はちょっと飛びますが、前に何かで読んだことがある自動車のトヨタの話。国際的競争力をつけるために、ひたすらムダを排除していった。ムダとは何か。仕事以外だ、と。では仕事とは何か。部品を作る、車を組み立てる、まさにその瞬間だけが仕事だ、と。

つまり、道具を取りに行くとか、部品を運ぶとか、そういうのは仕事ではなくムダである、と。それらを極力なくすため、道具はそばに置いておくー、部品は運ばないで済むようにするー、そうして数秒ずつのムダを省いていったーと。

 

このような小さなところから、トヨタの有名な「カイゼン」が始まり、今の世界に誇るトヨタに成長したというお話です。

 

 

このような究極の「段取り力」というのはもちろん、農作業だけの話ではなく、どんな仕事であれ同じことで、事務の仕事だったとしても常にプライオリティを考えながら、どういう段取りで毎日の仕事をこなしていくかは考えなくてはいけませんよね。

 

でも、トヨタもそうですが、農作業のように、頭だけでなく身体を使って働く、モノを持っていったり、道具が必要だったり、いわゆる「作業」を伴う仕事だと、物理的移動がそのまま時間的ロスにつながったりするんで、より「流れるような作業効率」が要求されるように思います。

 

 

・・・そして、独立2年目の夏を終え、この「作業効率の向上」が今、

「空やさい」の最大のカベになっています。

 

おかげさまで、皆さんにご紹介していただいているおかげで、着々とお客さまになっていただける方が増えています。それに合わせて、やさいの作付面積を増やしたり、春からは増産体制をとって対応してきました。

 

一方で、やさいの栽培=生産はまだ良いのですが、収穫したやさいたちを選別したり、梱包するなど出荷体制がまだまだ未熟なんですよね。収穫よりもとても多くの時間がかかってしまう。結局ここがボトルネックとなってしまい、出荷量のキャパシティを増やせないでいる。

 

これが現在の「空やさい」の抱える問題点です。

 

まだまだ未熟です。変えるところ、改善するところがたくさんあります。上記のトヨタの話のように、道具や梱包の袋の置き場所など1つ1つを見直し、ムダをなくさなくてはいけません。

上記のお茶の話のように、作業効率アップのため、身体の動かし方から変えて、流れるような作業体系を構築しなくてはいけません。

 

1年目は、とにかくやってみなければ分かりませんでした。

2年目は、問題点や乗り越えていく壁が明らかになりました。

3年目は、それらを改良改善して、ひと皮剥けて飛躍しなくてはいけません。

(あ、まだ今季は終わりってないのですが、、、)

 

 

うん、がんばっていこう。。。

 

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と、お茶の話から、話を転々として、抱えている問題点の告白と、来季への決意、という支離滅裂な(かつ、長文な)ストーリーとなりました、とさ(>_<)