日々是好日

例年以上に早い梅雨明けで、一気に夏がやってきた。

標高1000mの当地でも今年は「暑い」。

 

本来ならこの地は、低地以上に陽射しが強く、夏はむしろ「熱い」という字を充てたいぐらい。反面、サラッとした陽気なので日陰はひんやりと涼しいのが特長なのだが、今年は「暑い」。

、、、とはいえ、東や都の「京」と比べれば、格段快適だろうけど。

そんな暑い最近は、外での作業を朝夕の涼しい時間にやるようにしている。朝5時には起きて、文字通りの「朝飯前」にひと作業を終える。

 

やさいづくりの毎日に、同じ日はない。

天候や気温は刻々と変わっていくし、やさいも日々生長していく。

 

とはいえ、作業は毎日が黙々と単調でもある。

ついつい、代わり映えのしない毎日に思えてしまうこともある。

 

思えば、「毎日同じ仕事をしたくない」と思って入った新聞社。特に警察担当で事件事故を毎日のように追っていたころ、それは刺激的だったけど、それもいつしか「取材して記事を書く」という大きなルーティーンに慣れてしまった。

 

一方で、ほぼ毎日がデスクワークでひたすら書類をつくっていた役所時代。一見、毎日毎日が変わらぬ仕事のように思えてしまいがちだけど、その書類1つ1つは違うわけで、そこに新しいことを盛り込んだり、創意工夫することを考えたりすれば、決してルーティーンワークというわけでもなかったかもしれない。

正直に言えば、田舎には都会のような刺激はない。

やさいづくりの毎日にも、大きな変化が起こることはあまりない。

 

でも、それでいいんじゃない?

 

早朝、朝日に照らされながら、トマトの収穫をする。

毎日毎日ちょっとずつ色づくトマト。朝ごはん前でお腹減ってるから、「味のチェック」と称して、完熟したトマトをパクパク食べる。

 

夕方、白い雲が浮かぶ真っ青な夏の蒼い空が、夕日に染められ焼けていくのを、作業を中断してポケーッと見上げている。

 

これってある意味、ゼイタクなんじゃない?

「幸せ」とまで言わないけど、これでいいんじゃない?

 

一見、変化も刺激もない毎日のようだけど、小さな幸せや喜びは見方さえ変えれば、そこらじゅうに転がっているんじゃない?

 

暑さの盛り、盛夏は来月にかけてのこれからだけど、暦の上では夏至も過ぎて夏は折り返しを過ぎている。

 

同じ夏は二度と来ない。

毎日は決して同じじゃない。

 

 

 

、、、と今朝、摘み取ったトマトを次から次へとむさぼり食べながら、妄想していたとさ。。。