「空」への想い

陽が短くなり、18時すぎには夕焼け空に。

雲は高く、空は遠くー。すっかり「秋空」の表情だ。

 

そんな広く、高く、遠い空を見上げながら、自分は何で「空」が好きなんだろう?と、ふと黄昏に考えてみた。

 

 

・・・たぶん、理由はない。

こう言ってしまうと身も蓋もないが、好きなものは好き、ただそれだけ。

 

小さいころからパイロットになりたかった。

生まれ変わったら、絶対なりたい。

いや今でも、宝くじでも当たったら、ライセンスとりたい。

 

高校受験のとき、面接があった。

お約束の「将来何になりたい?」の質問に迷わず、「パイロット」と答えた。高卒で航空自衛隊に入るのが最短距離と思い、大学付属高は受けなかったぐらい。

 

面接では続いて「なんで?」と聞かれた。

「空が好きだから」。即答していた。

もうちょっと気の利いた答えが言えただろうにと、試験後凹んだ。落ちたと思った。しかしなぜか、受かった。挑戦校として受けたハズなのに。

 

その後いろいろあって、パイロットへの夢は絶たれる、というより断ってしまうんだけど、「空」への想いはどこかにちゃんと持っていたようだ。

 

 

30歳半ば、思わぬことから京都に住むことになった。その前後から「空」への想いがまた強くなる。

今度は同じ「空」でも「くう」。

「色即是空 空即是色」の「空」。

 

宗教としての仏教というより、哲学としてみた場合のその到達点に感心した。「あるがままに受け入れる」「諸行無常」、そして「すべては空。空はすべて」。スゴイな、と思った。

 

「空」の広さ、高さ、遠さは、ここから来てるのか。

だって「全ては空。空はすべて」だ。

 

京都では空に会えた。手放してしまったけれど。

 

 

そして今、「空」の近くにいる。標高1000m、さえぎる物ない広さ、そして高さが、毎日すぐそこにある。決して見飽きることのない「空」がすぐそこにある。空と一緒にいる。

 

 

今年、「空やさい」を興した。

すべてが空。空がすべてー。